女川町の概要

   女川町は,藩政時代には女川浜以下20浜が女川組と称し,大肝入のもとに統括

  れていたが,明治22年,村制施行の際,女川組全域をもって女川村とし,さらに大

  正15年4月1日,そのまま町制施行し今日に至っている。

   町の北部に上水道水源地に安野平と言われるところがある。その昔,安倍一族が源

  氏軍と経ケ森で交戦した折,一族の女,子供をこの地に避難させていたので,ここか

  ら流れる小川が「女川」と呼ばれ,後世下流部落が女川となり,やがて村名と町名に

  なったと言われている。

   南東に開ける女川湾は適度の水深を保ち,しかも近くに金華山沖の一大漁場を控

  え,往古より良港・漁港として繁栄してきた。明治になって先覚者の努力とともに,

  国,県の事業として港湾の飛躍的整備が図られ,三陸沿岸有数の漁港として発展し,

  本県水産業の一大拠点地となった。

   さらに,昭和59年に東北電力が原子力発電所を建設稼働し,東北地区のエネル

  ギー拠点としての発展が期待されている。こうした町勢の発展充実のなかで,「町づ

  くりは人づくりにある」という町是のもと,特に教育環境の整備充実が図られ,小学 

  校5校,中学校3校は全て永久校舎を有し,内部施設等も充実され,生涯学習教育,

  情報教育,国際理解教育,学校ボランティア活用教育の基盤整備も着々と整えられて

  きている。

   平成22年4月には,女川六小と女川一小,女川三小と女川二小,女川四中と女川

  一中が統合され,小学校3校,中学校2校となった。

   平成23年3月11日に発生した東日本大震災により,甚大な被害を受け,学区の

  ほとんどが壊滅状態となった。女川町では8年間の復興計画を策定して,今現在も精

  力的に復興への工事に取り組まれている。